ダン・スペルベル『表象は感染する』

文書のテキスト化について前回にひきつづき書こうと思っていたのですが、このところ移動していたのであいだが開いてしまいました(テキスト化のことについてはまたこんど書きます)。移動のあいだ、稲葉振一郎社会学入門』(この本はおススメです!)で紹介されていた、ダン・スペルベル Explaining Culture (日本語訳は『表象は感染する』)を読んだので、少しメモを書いておこうと思います(内容はまちがっているかもしれませんけど)。


スペルベルは、社会科学の自然主義的研究プログラムとして「表象の疫学」というものを提唱します。個体としてのヒトの心‐脳に生まれたり保存されたりした心的表象と似たものが、他の個体の心‐脳の中に見られることがある。そうした表象は、心‐脳と公共的生産物(テキストをふくむヒトが作り出した道具)に物理的に記録される。心的表象は公共的生産物を生み出すし、公共的生産物は心的表象の原因となる。この心的表象と公共的生産物の連鎖の過程として表象の伝達を観察すること、そしてその表象がどのように分布するかを明らかにすること、これが表象の疫学の目標です。「文化」というものは、こうした表象の伝達の集積として、同じような表象が個体の集団の中に広く見られるようになった状態のことであると定義しているようです。


ポイントは、つぎのようなところです。
1. 心的表象が生ずるメカニズムは心理学的なもので、認知革命以降その存在論があきらかになったこと。
2. 表象は心‐脳と公共的生産物を媒体としており物理的に説明可能であること。つまり、媒体を特定できない社会集団全体に帰されるような集合表象を前提とせず、表象の分布はあくまで心的表象と公共的生産物のミクロな連鎖の集積として理解可能であるとすること。
3. 表象の伝播はミーム概念を提唱するドーキンスデネットなどの淘汰論者のいうような、複製によるものだけではない。情報の伝達はヒトの認知能力や生態学的環境など複合的な要因によって特定の方向へ「誘引」され変形されるのであって、入力された情報の処理過程は一様ではない。複製は変形がゼロであるという極限的な例のことである。(誘引説については「文化の進化における誘引の役割」(英語)ミーム論批判については「文化へのミーム論アプローチに対する異論」(英語)などがウェブで読めます)


表象の疫学、わたしはとてもいいんじゃないかと思います。心的表象と公共的生産物の連鎖の結果としての表象の分布を明らかにするというプログラム。ここでは、集合的表象といったそれについては検証不可能な存在を前提することなく、表象の分布としての文化を因果的に説明する枠組みを社会科学にあたえ、そしてそれを認知科学に接続する展望が開かれることになっています。文献学的歴史研究をめざすものにとっては、これは非常に魅力的といっていいでしょう。文献学は表象の外部記憶装置たる公共的生産物の研究なわけですから、スペルベルの提唱するプログラムに自らを組み込むことができます。いわば、認知革命以降の研究プログラムをこちら側へ拡張してくれているわけですね!うーん、もっとはやく出会っていれば…。


ただし、文献学的な関心からいうと、ドーキンス流の淘汰説の魅力も捨てがたいものがあると考えています。そこで、スペルベルの言う誘引モデルが、どこまで淘汰説と矛盾するものなのか。たしかに、ヒトの認知能力や生態学的環境などによって、情報は変形されるでしょう。これはまちがいないと思います。しかし、これは情報処理機械のもつバイアスととらえ、関数としてモデルに組み込むならば、表象の疫学と淘汰説は結局おなじような方向に行かざるをえないのではないかと思います。稲葉先生のいうように、ミーム論への決定的な批判になっているのかどうか、わたしには判断できませんでした。うーん、もっと勉強が必要ですね。しかしいずれにせよ、複製というものを変形がゼロの場合として、表象の疫学の枠組みの中に位置づけたスペルベルの功績は大きいでしょう。文献学の関心からは、スペルベルの言う特殊事例としての複製は、情報の伝達の単位のとりかたによっては、大きな役割を果たしているのではないかと思います(ミームという用語を使うかどうかは別として)。


最後に、わたしにはいまいち理解しがたい点をあげると、スペルベルが(人類学者と対をなすものとして)民族誌学者とよぶ研究者たちの「解釈」という営為を、研究の方法として最終的に擁護するのはどういう論拠でそうなるのか、わたしにはいまひとつわかりにくく思いました。もちろん、それを捨ててしまったら民族誌が書けなくなるでしょうから、そんなもの捨ててしまえと言いたいわけではないのですが。『人類学とは何か』でも舌鋒鋭い解釈学批判をおこなった最後になぜか最終的にはそれを捨てないスペルベルのその論理は何なのかいまいちよくわからない、ということです。うーん、やっぱりもっと勉強しなければ。


スペルベルの書いたものは、彼のウェブページ上にたくさん置いてあります。→ここ

Institut Jean Nicod のページにも。→ここ

『表象は感染する』の日本語訳序文は訳者の菅野先生のウェブページに置かれています。→ここ

Author's presentation of Explaining Cultureここ

Edge インタビュー。→ここ

Gene Expression インタビュー。→ここ

語用論関係のインタビュー(音声)→ここ



Explaining Culture: A Naturalistic Approach

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表象は感染する―文化への自然主義的アプローチ

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社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

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