横山伊徳・石川徹也編著『歴史知識学ことはじめ』

資料のテキスト化についてつづきを書こうと思っていたのですが、一時帰国中せっかくなので前々から気になっていた、横山・石川編『歴史知識学ことはじめ』を読んだ感想を書きます。これは、東大史料編纂所前近代日本史情報国際センター主催の2007年の公開研究会の内容をまとめたものだそうです。


内容は情報学と歴史研究の共同作業の現場でどのような動きがあるかということに関するレポートといったかんじです。執筆陣の半分以上が情報学系のひとびとで、わたしのような人文系はうーんもっと勉強せねば、とあせらされます。技術的な個別の問題や方法論の問題は、軽く触れられてはいますが掘り下げた議論がおこなわれているわけではありません。もちろんそれが悪いというわけではなく、本書は情報学+歴史研究という組み合わせで仕事をしている研究者たちが、どういう方向を目指しているのかをわかりやすく紹介するという意味で良い本だと思います。現場の熱気も伝わってきます。いいなあ、こういうワクワクするところで仕事したいなあ。


わたしにとって特に印象にのこったのは、松岡資明氏による第八章です。これは近現代史を勉強する者は特に必読だと思います。前近代の資料に対して近現代の資料がきちんと保管されておらず、大量廃棄されてしまうことが多いこと。デジタル化した資料の長期保存の制度を整えなければならないこと。もちろんすこしでもアーカイヴィングに興味があればよく聞かされる話ではありますが、松岡氏の語り口には説得力があります。そして最後のこの耳の痛い言葉。

私のような外部の人間だから言えるのかもしれませんが、これまでの歴史研究は新聞記事で言えば、一種の特ダネをつかむのに似た要素があったのではないかと思います。いささか表現は下品かもしれませんが、ほかの研究者が知らない史料、気づかなかった史料で世間を驚かせる。もちろん、そうした部分がこの先、全くなくなることはないと思いますが、これからはもう少し違う要素も必要になるのではないでしょうか。


本書を通じて感じたことは、くずし字を相手にしなければならない中世や近世の歴史研究者たちが資料編纂や文献学に力を入れていることを考えると、ぼくたちは何をやっているのやらという反省です。だって、近現代の資料の多くは活字で手にはいるんですから。なんでわれわれはやらないんでしょうかねえ。それから、人文系のひとたちと情報学のひとたちのあいだで、つなぎ役になっている保立先生はやっぱり偉い方だと思いました。


本書で紹介されているのはあくまで史料編纂所や文書館や博物館のような、規模の大きな機関での取り組みを前提にしているので、わたしのような個人でアーカイヴ構築を目指しているものにとってはちょっと手の届かない議論ではあります。もちろん、大規模なアーカイヴ構築のプロジェクトに入れてもらいたいなあ、と常々思ってはいるのですが・・・。今のところはウェブ上の一個人としてコモンズに情報を付け足すくらいのことしかできません。


希望といえば、テキスト化した資料をたとえばXMLで書くとして、大規模プロジェクトがどういうタグ付け規則を採用しているのか、といったことが知りたいと思っています。どうせマークアップするなら統一基準が欲しいし、統一基準がないなら大規模なところが採用している基準を参考にしたいからです。公文書になると、プロジェクト・グーテンベルク青空文庫の規則では対応しきれませんから。個人レベルでの文書のテキスト化の努力が進まないのは、基準がないからというのがひとつの理由なのではないかと思っています。史料編纂所のような大きなところは、データベースや統合検索システムづくりばかりでなく、基準づくりという方向でプラットフォームになることを期待します。


うーん、というか、どこか大きなアーカイヴ構築プロジェクトに入れてもらいたい・・・。やりたいことたくさんあるのに・・・。


松岡氏の関連する文章→ここ
保立先生の関連する文章→ここ(PDF)

歴史知識学ことはじめ

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